この記事まで辿りついていただけたということは、私自身に少しでも興味を持っていただけたということですよね!
とても嬉しいです!本当にありがとうございます!
ここでは、プロフィール記事では詳しく触れなかったしじみの生い立ちや経歴の詳細について書いていきたいと思います。
少し長いですが、良ければ見てもらえると嬉しいです
小学校時代はサッカーを1年間、少年野球を3年間やっていました。
休み時間は、グラウンドでドッジボールやキックベースをよくやっていたような気がします。
友達と遊ぶのが好きで、毎日のように友達と外で遊んでいました。
またゲームも好きで、小学校時代によくゲームキューブのスマブラを友達と遊んでいた記憶があります。
あの頃はただひたすら友達と遊ぶのが楽しかったなぁ~
小学校からの流れで中学では野球部に入部しましたが、
- とにかく練習がキツすぎる
(30度を超える真夏の炎天下の中、休憩なしで1時間以上ランニングなど) - 顧問から生徒への暴力など
(生徒への暴力、部活を辞めさせないように裏で脅迫など)
とにかく野球部の治安が悪すぎました。
今だったら大問題になりそうなもんですが、当時はそこまで問題にもなりませんでした。
野球部を辞めるためには別の部活に入るしかなく、友達が入っていた卓球部に入りました。
しかし、自分に合っていないことに気付いてから、1カ月後には幽霊部員になってしまいました。
この頃から友達の影響でアニメとかニコ動を見始めて、これに見事にハマりました。
そしてこの頃から周りの陽キャと自分とのギャップに気付き始めます。
あ、自分って陰キャだったんだ・・・
と思うようになり、周りとのギャップから徐々に学校が嫌になり始めました。
いろいろな要因が重なり、中2で1ヶ月ほど不登校になってしまいました。
学校に行くのがとにかくつらかったです…
そんな中で迎えた私、しじみの誕生日。
ついに母親にブチギレられました、そして泣かれました。
母親を泣かせてしまったことがキッカケで、「このままではいけない!」と思い再び登校するようになりました。
その後も時々学校を休みながらも何とか登校し、無事に卒業することが出来ました。
引きこもりから脱却できてよかった…!
中学の頃にパソコンに興味を持ったのがキッカケで、情報系が学べる工業高校に進学しました。
高校では気の合う友人もたくさんできました。
個人的に良かったなと思っているのが、勉強をするクセが身についたことです。
勉強自体がそこまで好きというわけではありませんが、自分の中での勉強法が確立出来たように思います。
また当時は自分が興味のある分野についての勉強だったので苦ではなかったですし、知識がどんどん増えていく感覚がとても好きでした。
勉強のクセがついたおかげで、どんな物事も自分で調べるようになりました
高2の時にSNSを通じて妻と知り合い、付き合い始めました。
そして気がつけば、今後の進路について考え始める時期になりました。
私のいた学科では、情報だけでなく電気についても学んでいました。
情報と電気両方に強いと今後の就職に生かせるのでは?と考え、高校卒業後は高専の電気学科に編入学しました。
今思い返すと、この選択が間違いだったかも…
高専への編入学から約1カ月ほどたった頃、電気が好きじゃないことに気が付きました。
あまりにも遅すぎる気付きでしたが、もう後戻りはできないので必死に勉強しました。
情報学科に進んでいたら未来は違っていたかもしれません
高専5年次になり、今後の進路について以下の三択を迫られました。
- 別の大学の3年次に編入学する
- 専攻科(学士取得可)に進む
- 進学せずに就職する
大卒の資格が欲しかったしじみは、ひとまず別の大学を受験することに決めました。
大学への編入学試験は口頭試問だったのですが、さまざまな対策をしていったにも関わらず完敗でした…。
人生で初めての挫折を味わい、別の大学への編入学という道は閉ざされてしまいました。
そこでもう一つの選択肢であった専攻科への進学を決意し、引き続き同じ高専で学ぶことにしました。
この選択肢が良かったのか悪かったのかは分かりません…
進学したとはいっても学んでいる場所は同じなので、正直、進学した感覚はほとんどありませんでした。
変わった所といえば、必修の授業が少なくなったこと。
このおかげで少し時間ができてきたので、いろんなことに挑戦することにしました。
普段の授業と研究、それに加えて学生アルバイト・スーパーでの夜勤をひたすらこなす日々でした。
勉強&研究&アルバイト(2つ)のリアル四刀流でした()
そして再び進路を決めなければならない時期に差し掛かりました。
昔から面接が大の苦手だったしじみは、面接練習をほぼやりませんでした。
また就職活動自体さっさと終わって楽になりたいという思いがずっとありました。
求人の中でも割と早めに内定がもらえそう&条件が良さそうという理由だけで、某大手電機メーカーのグループ会社に学校推薦で応募しました。
今思えば、もっと真剣に就職活動すべきでした…
面接当日は、面接を2回(人事面接と役員面接)して終了。
そして翌日に連絡があり、内々定をいただきました。
「こんな簡単に就職が決まっていいのか…?」と不安になりましたが、学校推薦のため辞退という選択は出来ませんでした。
どうしようもないので、「まぁ大手だしなんとかなるっしょ」という楽観的な考えでやり過ごすことにしました。
大手だし潰れないでしょ(適当)
ついに社会の歯車デビューを果たし、某大手電機メーカーグループ会社にフィールドエンジニアとして就職。
数カ月の研修期間を経て、縁もゆかりもない北陸での勤務を命じられました。
正直、絶望しました。
- 一度も訪れたことのない土地
- 家族や友人も近くにいない初めての一人暮らし
- 初めての一人暮らし
とにかく不安でいっぱいでした。
ですが幸いにも社内の人は優しい人が多く、北陸や会社の情報をいろいろと親切に教えてくださいました。
冬が近づいた頃、雪について心配していると、
「ここ数年は大雪降ってないから、雪の心配はいらないよ(ドヤ顔)」
と社内の人たち(地元民十数人)から言われました。
しかし、その年に大雪の洗礼(積雪約80cm)を受けて、雪が大嫌いになりました。
正直トラウマレベルです…
北陸に住んで約一年が経過した頃、「あっ…このままじゃ孤独死する」と悟りました。
付き合って約5年、そして遠距離恋愛が長かったのでそろそろ結婚したいねという話になり、2018年に結婚しました!
今も毎日楽しく幸せに過ごしています!!
ですが、この時住んでいたのは夫婦ともに縁もゆかりもない北陸。
慣れない土地に住み続けることへのストレスから、夫婦ともに肉体的にも精神的にも疲弊していきました。
妻は当時在宅ワークで、家から出る機会が少なかったこともあり、ストレスをどんどん溜め込んでしまう状態に陥ってしまいます。
その結果、日に日に妻の精神が不安定な状態が増えるようになりました。
しかし、しじみ自身にもさまざまな負荷がかかっていました。
- 慣れない土地に住み続けるストレス
- どれだけこなしても増え続ける仕事量
- 先方からの嫌がらせとも思えるほどのむちゃ振りの数々
仕事におけるストレスが凄すぎて、次第に体にこんな症状が出始めました。
- 不眠(夜寝られず、昼間ずっと眠い)
- 何事にも無気力になり、興味関心が減る
- 毎日仕事前に、えずくほどの吐き気
- 動きたくないほどの倦怠感
症状からしてうつ病ではないか?と感じ、近くの精神科を受診。
結果、軽度のうつ病と診断されました。
まさか自分がうつ病になるなんて、想像もしていませんでした。
このことを課長や直属の上司にも相談し、ひとまず約1カ月有給を取得して休むことになりました。
これ以上悪化する前に休むのがいいという判断になりました
約1カ月間の休みの間は、仕事のことを忘れるように心がけました。
妻とちょっと遠出したり、何もしない日を作ったりしました。
そのおかげで、体調が少し回復しました。
休むって本当に大事だなと痛感しました
復帰に向けて主治医や課長、直属の上司とも相談しました。
現状、とりあえず業務への支障はないだろうということで仕事復帰。
しかし、残念ながら根本的なストレスの原因をなくすことはできませんでした。
これ以上悪化するのを避けるため、通院は続けました。
何とか薬を服用したりして耐えながら1年ほど勤務しました。
今思い返しても、よく耐えたなと思います…
仕事復帰から約1年が経過したある日、異動の辞令が出ました。
異動先はなんと妻の出身県です!!!
実は仕事復帰する前から課長に相談をし、転勤できそうならしたいと希望を伝えていたのです。
上司には本当に感謝しています!
すぐさま妻に報告し、「ようやくこのストレスから解放される!」と二人で心の底から喜びました。
転勤までに業務の引き継ぎや、お世話になった方々へのあいさつをしっかりとしておきました。
そして、念願の転勤!!!!
しかし、待ち受けていた現実はそんなに甘くありませんでした。
転勤後の職場環境が、以前よりも酷い職場環境に変わってしまいました。
- 前任者からの引き継ぎなし(電話で確認しても曖昧な返事ばかり)
- 異動後の課長に聞いても「俺も分からん」の一点張り
最終的には適当にあしらわれてそのまま放置 - 同僚は忙しい&その仕事に関わったことがないので、誰も助けてくれない
- 同じ職種、同じ業務内容のはずなのに、取り扱う機器が全く違う
- 何も分からないのに現場に一人で行かされる
- 何も分からないので現場で何をしたらいいか分からない
同じ会社でも、場所によってこんなに違うんだと思い知らされました。
それでも自分なりに必死に泣きそうになりながら、約2カ月頑張りました。
ですが、出勤する度にうつ病の症状が悪化していきました。
このままではいけないと思い、新しい通院先を見つけ、近々通院しようと予約を取っていました。
無理やり出勤をひたすら続けていた、そんなある日。
気が付いたらベッドから起きられなくなっていました。
いつの間にか相当無理をしていたみたいです…
幸いにも予約していた病院の受診日が近いこともあったので、通院の日までひとまず休みをもらいました。
体がしんどいながらも、なんとか頑張って通院して診断を受けました。
すると「うつ病です」と診断され、医者からすぐに休職するようにと指示が出ました。
このことを恐る恐る異動後の課長に電話しました。
すると、課長から衝撃の一言が。
「このタイミングで…マジか…」
「こっちの都合も考えてくれよ…」
と言われ、「この上司マジでヤバすぎるだろ…」と改めて痛感しました。
部下のことを奴隷だとしか思ってないんでしょうね!
そして以前と同様に、ひとまず有給を使って1カ月休むことになりました。
ですが、今回の休みは前回の休みの時とは勝手が違いました。
倦怠感が凄すぎて、どこに出かけるのも一苦労だったんです。
なので、リフレッシュやストレス発散が全くできませんでした。
一日の中でちょっとでも何か出来たらラッキーぐらいの感じでした。
それに加えて、休んでいる間も会社のことで頭がいっぱいでした。
正直、精神的には全く休めていないような感覚がずっとありました。
会社からの悪影響が大きすぎたみたいです…
1カ月休みましたが、どれだけ休んでも改善の兆しがほぼありませんでした。
主治医からも薬の量を増やしてみるしかないと言われ、薬の量がどんどん増えていきました。
いろいろと考えているうちに、自分自身が「今の会社で働くことに囚われているのではないか」と思うようになりました。
病気の現状とこれからどうしていくかについて、妻に何度も相談しました。
何度か話し合った結果、
「休職して体調が万全な状態になってから、別の会社に転職する」
という決断になりました。
できる限り会社のことを考えず、心を休ませることに専念するように日々心がけました。
「この仕事からおさらばするぞ!」と思い始めたら、少しずつ体調が回復していきました。
会社が重荷になっていたんだと、この時に初めて気が付きました
それでも完全に体調がよくなるまで、トータルで1年半もの年月がかかってしまいました。
そして頃合いを見て、前職を退職しました。
退職と同時に社宅から退去した関係で、妻の実家がある市町村へ引っ越すことになりました。
退職後は、失業手当&仕事探しのためにハローワークに通いました。
ですが、希望条件に合う仕事がなかなか見つかりませんでした。
田舎って希望する条件の求人がほぼないんですよね…
このままではマジでヤバいと思い、転職エージェントを使った転職活動も同時並行で始めました。
また同時期ぐらいにクラウドソーシングサービス経由で、簡単な在宅ワークを始めました。
なぜ始めたかというと、問題なく社会復帰できるか不安になったからです。
休職1年半からのいきなり社会復帰はさすがに不安でした
そんな感じで転職活動を続けましたが、現実はとても厳しいものでした。
コロナ禍&休職期間1年半という、非常に高い壁が立ちはだかりました。
その結果、転職先が半年間ほど決まりませんでした。
かなり大変でした…
最悪フリーターをしながらでも転職活動を続けようと思いアルバイトに応募しましたが、落とされました。
「アルバイトとしてすら求められていないなんて…」と思い、死を意識したこともありました。
そんな状況の中、特定の地域に特化した転職サイトをたまたま見つけました。
そしてそのサイトの中にあったとある企業の求人に巡り合いました。
実は、転職活動時から前職とは違う職種で仕事を探していました。
なぜかというと、同じ職種だとまた体調を崩してしまうと思ったからです。
そんなわけで、別職種で未経験OKの求人を探していました。
ですが、自分がやってみたい仕事の中には未経験OKな求人はほぼありませんでした。
しかしこの求人には「未経験OK」との記載がありました。
「ここも多分ダメかもなぁ…」と思いながらも、とりあえず連絡を取ってみました。
すると見学だけでもOKとのことだったので、ひとまず会社見学をさせてもらうことに。
会社の雰囲気、社員の雰囲気、どちらもかなりいい感じでした。
そしてその流れで社長との面談になり、自分の現状についても正直に話しました。
その結果、その場で実質内定みたいなお話をいただき、驚愕しました。
家族と相談してから答えをまた聞かせてほしいと言われ、その日は帰りました。
面接だとは思ってなかったので正直ビックリしました
正直、自分の中での印象はかなり良さげでした。
採用担当は社長で、面談や会社紹介も社長がしてくださいました。
社長がとにかく良い人だったのがとても印象的でした。
面接から帰り、妻に面接のことを話すと、
私もその会社が良いと思う!
バイトに落ちたのも、きっとその会社に入社するため!!
と言ってくれました。
その後入社の意思を伝え、正式に採用が決定しました!
こんな優しい妻と結婚できて、しじみはとても幸せ者です!!
正直、転職にはかなり成功したと思っています。
- 人間関係良好、本当に優しくて親切な人ばかり
- 残業時間、現状0時間
- 17時半終業、ワークライフバランス確保にも成功
やったぜ!これで転職は大成功!…と思いきや。
そんな全てが完璧にいくほど、人生は甘くないわけで。
なんと年収が約400万円弱→約250万円までダウンしました。
転職時に覚悟はしていましたが、年収が約150万円ダウンしたのは辛すぎました。
某大手電機メーカーグループ会社から田舎の零細企業への転職なので、ここはしょうがないとは思います。
お金も大事ですが、仕事が継続できなければ何の意味もないと個人的には考えています。
世間の値上がりラッシュに日々悲鳴を上げています
無事に新しい仕事が見つかり、ようやく安心することが出来ました。
安心した影響か分かりませんが、入居前には見えてこなかった賃貸物件の嫌な所がたくさん見えてきました。
- 下の階の人の物音といびきがうるさすぎる
(そもそもいびきが聞こえるのがおかしい) - 同じ物件に住む人の人間性がヤバい人が多い
- 近所に林?があるせいで虫(主に蚊やハエ)が大量発生
- シンプルに日当たりが悪い
- 駐車場付近にある水路の臭いが臭すぎる
(管理会社に連絡するも、管理会社の土地ではないから対応は難しいと言われた) - 家の中が夏は蒸し暑く、冬は極寒
夫婦そろって、「とにかくこの家から逃げ出したい」という気持ちが強くなっていきました。
これがキッカケで「マイホームを建てられないか?」という野望が出てきました。
この時点で建てたいとは思ったものの、どうしたらいいのか分かりませんでした。
無知だったしじみ夫婦は、住友林業のお問い合わせ窓口からコンタクトを取りました。
紹介の場合、優秀な営業が担当になり、値引きや特典があります!!
ここからは正直、勢いでした。
よくわからないまま、妻の憧れだった住友林業の見学会に行ってみることにしました。
営業の方と話をしていくと、頑張れば家が建てられるかもしれないという希望が少し見えてきました。
そして、少しでもお金の足しになればと思い、副業も開始しました。
四苦八苦しながらも住友林業で平屋を建てるために奮闘し、無事に住友林業で家を建てることが出来ました!
わが家の紹介は、以下のリンクからどうぞ!
カテゴリ:Web内覧会ここまでが、しじみの生い立ちです。
長い文章になりましたが、ここまで読んでくださった方にはまず感謝をお伝えしたいです。
少しでも私に興味を持ってくださり、本当にありがとうございます。
「しじみってこんな人なんだ~」と少しでも思っていただければとても嬉しいです!
住友林業で家づくりをされる方の参考になるような記事を書けるように今後も頑張っていきたいと思います!
精一杯頑張ります!!